失策を恐れるな。こういう言葉のウェイトを知った戯画で人間生の分かれ目が訪れた

あたいが激しく影響を受けた戯画として紹介する作品は、福本伸行教官作品、「天-天和通りの快男児」だ。麻雀戯画書物「近代麻雀ゴールド」で連載されていた、麻雀戯画で、麻雀戯画としても魅力のおっきい作品ですが、あたいがとても感動のは、麻雀シーンではない所です。

こういう作品の終盤、表紙人間の一人です赤木しげるは、アルツハイマーにかかり、「自分」というものをきつく意識して生きていた主人は、想い出がなくなるため自分がなくなる前に自殺する、ということをかつてのグループや、戦った対象を揃え、一人一人に話します。自殺など始めるなと説得する者もいれば、同じく根深い病魔を患い、自分にも死が間近いと告白する者もいました。

そのしている時の一人、井川ひろゆきは、最初は自殺を押さえるために説得をしようと思っていましたが、最初のワンポイントがしている時々言いだせずにいました。それを見た赤木は、ひろゆきの現状を見抜きます。いのちが煙ってある、真っ直ぐ生きていない、立ち止まっている、と。それは本当でした。主人も麻雀打ちとして生きていましたが、赤木しげるや、こういう作品の主要人表、天貴史などの強さの領域には届かないことを悟り、遊戯師ではなく、OLとして、死んだように生きていました。そのひろゆきに掛けた赤木しげるの言葉があまりにも気安く、たくましく、そして読んでいたあたいをとても意欲させました。

「到達を目差すな、と言ってるんじゃない。その正誤にとらわれ、思い煩い、止まってしまう対応。熱意を失ってしまう対応。これが悪い。こっちの方が問題だ。嬉しいじゃないか…!三流で…!熱い三流なら完璧よ…!まるで済む。済む話です。だから、恐れるな。増やす…!罪を恐れるな…!」

こういう赤木の言葉はごく一部ですが、主人のいう「罪を恐れるな」のウェートは、世間でよく仰るそれとは状況が違う。勿論誰だって到達は目指すだ。しかし主人はこうも指す。「それは飾りです」と。到達は人生の飾り。ただやる事、その熱意、はたらきそのものが、通じるってことなのだと。こういう言葉が、どれだけあたいを勇気付けたでしょう。そして、今でも立ち止まった時は、主人の言葉が前に進むための励みになっています。欲求不満な時ってどうすればいい?

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